なぜでしょうか・・・???
こんにちは、百萬です。
2018年にベストセラーになり、今もずっと世界で読まれている『世界の教養365』・・・かなりの中高年が、この本を読んだのではないでしょうか?
この本に書いてある 365話は・・・月曜は歴史、火曜は文学、水曜は芸術、木曜は科学、金曜は音楽、土曜は哲学、日曜は宗教それぞれのジャンルに分かれています。
これらは、中高年にとって心の栄養になるのでしょうか・・・?
1日目のテーマは、「シンプルなものは 世の中に広まる」・・・です。
よかったら、ご一緒にどうぞ。
目 次
- ①人々の間に何かを広げるには、緻密さではなく、簡素さ・・・シンプルかどうかが きめ手でしょう!
- ②エスペラント語ではなく英語が国際語になったのは、やはりなんといっても英語のシンプルさにあるのではないでしょうか?!
- ③1文が短い文章は人によく読んでもらえるけれど、逆に1文が長い文章はとっても嫌われます・・・学術書は1文をもう少し短くすると、人にもっと読んでもらえるのではないでしょうか?!
- まとめ
①人々の間に何かを広げるには、緻密さではなく、簡素さ・・・シンプルかどうかが きめ手でしょう!
やっぱり これが最強かも。
長い歴史を持つ人間のことば・・・これらを最初に考えた人は、何にヒントを得て、どのようにつくり上げたのでしょうか?
エジプトのヒエログリフなどの言語はとっても難しいため、当時 それを理解できる人はほんの一握り。
そのため、一般の人々が理解しやすいように、それを簡略化したのがアルファベットの起源とされています。
何ごとにおいても、複雑なものは理解しにくいものです。
最初にシンプルな基本形があれば、人々はよく理解できるもの・・・
その上で、必要に応じて多少の枝分かれがある程度なら、誰にとってわかりやすいものでしょう。
最初 見た瞬間に、すべてがとっても複雑に見えるものは、誰でも敬遠しがち。
そうなると、理解できる前に 見るのをやめてしまいがちではないでしょうか。
そのため、物事を人々の間に広めるためには・・・いかにシンプルにあらわせるがとても重要です。
その意味で・・・アルファベットは、たったの26文字だけで 世界のあらゆる事象を表現できるのは、とてつもない大発明でしょう。
覚える文字がわずか26文字・・・
これだけで、世の中にある天文学的な物事を表現できるというのは脅威です。
日本語においては、漢字、ひらがな、カタカナに加えて、最近は英語のカタカナことばまで広く使われるようになってきました。
さらにはイタリア語やフランス語など、英語以外のさまざまな言語もときどき混入しています。
そのようなたくさんの言葉を頭に入れないと、理解できないような日本語の文章がまかり通っている感じすら・・・
その点、アルファベットはわずか26文字だけで、基本的にすべてのことを表現できます。シンプルなものは誰にでも好まれる典型例でしょう。
②エスペラント語ではなく英語が国際語になったのは、やはりなんといっても英語のシンプルさにあるのではないでしょうか?!
だって、一番シンプルだもの・・・
世界でもっともシンプルな言語は何でしょうか?
世界にはさまざまな言語があります。
ウィキペディアによれば・・・世界に現在ある言語は、千数百から数千(諸説あります)と言われています。
これだけ多くの異なる言葉を話す民族がいるというのは驚異的です。とにかくすごい数。
世界がしだいに狭くなり、交流が盛んになってくると、世界共通の言語があるのが便利
・・・誰でもそう思うことでしょう。
1860年代にそのようなことを考えたのが、ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフさん。ポーランドの眼科医でした。
彼は、それぞれの民族の母語に加える第2言語として、人工的な世界言語を考えました・・・それがエスペラント語。
エスペラント語は 現在も使われていて、世界に100万人くらいの人がこの言語を使っていると言われています。
けれども・・・第2言語としての世界共通言語を目指しつつも、このエスペラント語を使ってる人数が77億人のうち 100万人くらいだと0.01%にすぎません。
これだと、世界共通言語とはちょっと言えない状況でしょう。
一方、英語はいまや世界中に広まっています。
国連の統計(2020年)によると、英語を使っている人口が 現在11億人(14%)になっています。(その他の研究では15億人とも・・・)
そのようなことから、現在は 英語が世界共通語といえそうです。
日本においても外国語と言えば、基本的に英語が思い浮かぶでしょう。
ドイツ語、フランス語、あるいはイタリア語などは一般的に義務教育では教えていません。
実際に海外に行ってみると、どの国でも英語であれば、なんとか通じる人がいるものです。他の言語では、なかなかそういうわけにはいかないでしょう。
とりあえず英語がなんとか使えれば、その人の助けを借りて、現地で何とかなるという安心感があるもの。
けれども 世界中の言語の中で、英語が本当にもっともシンプルなのでしょうか?
例えばドイツ語やフランス語、イタリア語、スペイン語などと比べると、英語には人称(わたし、あなた、かれ、かのじょ、かれら、あなたたち・・・)によって、動詞や形容詞などの変化がほとんどありません。
その点、英語以外の言語では、人称と動詞や形容詞などとの連動性が極めて多いため、それらをすべて覚えるのはけっこう大変。
その土地に生まれた人が自然に覚えた言語であれば、けっこう面倒な規則などを意識することなく使えるので問題はありません。
けれども、世界共通言語として特定の言語を考えるときには、そのような変化はとても面倒なもの・・・
英語でも1人称と3人称単数形などでは、動詞の語尾などに一部変化があったりします。けれども、それ以外にほとんど面倒なことはありません。
そのため、英語は初めてトライする外国語としてはとても易しいものとなります。
(それでも日本人には大変ですが・・・)
世界共通言語として、たとえばエスペラント語などの人工言語をつくろうとの発想は面白いものの、そこにシンプルさがないと世の中に広まらないのも事実でしょう。
人はやはりシンプルなものが大好き。そうであればすぐに広がるもの。
エスペラント語は逆の意味で、その1つの例でしょう。
③1文が短い文章は人によく読んでもらえるけれど、逆に1文が長い文章はとっても嫌われます・・・学術書は1文をもう少し短くすると、人にもっと読んでもらえるのではないでしょうか?!
だって、1文が長くて息がつけない・・・
いろいろな本を読んでいて、気がつくこと・・・
それは、本によってとても読みやすい文章と、逆にとても読みにくい文章があること。
読みやすさと 読みにくさ・・・この違いが生じるのは、なぜでしょうか?
その原因にはいくつかの要素があると思いますが・・・
その最たるものは「1文が長い文章はとても読みにくい」ということではないでしょうか。
1文に1つのことだけが書いてあれば、とても理解しやすいもの。
ところが、1文の中に2つ以上のことが書かれていると、とたんに読みにくくなります。これは書き言葉でも、話し言葉でも同じでしょう。
一般的に、お客さまに買っていただく本は 読んでもらいたい気持ちが現れていて、1文がかなり短めになっています。
1文が短くないと、読みにくいためあまり売れないでしょう。
これに対して学術書などは、1文がかなり長いものが多い印象を受けます。
買って読んでもらうことを目的としていないのか?・・・と思うほどの長文があったりします。
1文の中に2つ以上の意味のことを、接続詞を多用してつらつらと書き続けると、とっても読みづらくなります。
どうかすると「読みたかったら 読め」・・・くらいに思えるような学術書もあって、ときどき困惑します。
1文の中に、1つの主語と述語しか書かない文が1番シンプル。
そして、適切な接続詞で1文と他の1文をつなげば、書いている人の思考の流れがとても理解しやすくなります。
そのように書かれていれば、誰でも読もうと思うのではないでしょうか?
「シンプルさがとっても重要」・・・というのは、文章にも当てはまります。
1文が短い文章はよく読んでもらえます。
逆に 内容がいかによくても、1文が長すぎる文章は あまり読んでもらえないものでしょう・・・
まとめ
いいことがあるかも・・・
アルファベットの発明・・・
それはとても難解だったエジプトのヒエログリフなどを、一般の人が理解しやすくするために26文字に改良したもの。
シンプルなものはだれもが好むため、すぐに世の中に広まります。
逆に、複雑そうに見えるものは なかなか人に受け入れられず、自然消滅する運命・・・
このことは、アルファベットだけではなく、世の中のあらゆるものに共通することでしょう。
このことを頭に片隅において、シンプルさを追求していけば、世の中がもっと過ごしやすくなるかもしれません・・・
・①人々の間に何かを広げるには、緻密さではなく、簡素さがとっても重要・・・シンプルかどうかがきめ手です!
・②エスペラント語ではなく英語が国際語になったのは、やはりなんといっても英語のシンプルさではないでしょうか?!
・③1文が短い文章は人によく読んでもらえるもの、逆に1文が長い文章は嫌われます・・・学術書は1文をもう少し短くすると、人にもっと読んでもらえるのではないでしょうか?!
ご覧いただき、ありがとうございました。